あらすじを知りたい方は「続きを読む」からどうぞ。
★既成概念をぶち破る
簡単そうで、実はもの凄く難しいこと。
それが、「既成概念」とか「観念」に囚われずに生きることだと思う。
パッチは精神病院で出会ったアーサーに、既成概念のぶち破り方を教わる。
アーサー曰く、
「問題ばかりでなく、その向こうに焦点を合わせるんだ。既成概念や見栄を捨てて世界を見直せば、毎日が発見だ。君ならそれができる」
凄いよ、アーサー!さすが「天才病」…って、まるで「天才であることが病」みたいな病名だねぇ
パッチはこの言葉に強い影響を受け、それまで「ちょっと引きながら」見ていた同室の患者の病気ではなく、「患者本人(患者の心)」に直接触れるように、患者と同じ目の高さで病気と関わる。
その時に、「患者を癒すことで自分も癒される」ことに気づいて、医者を目指す。
凄いよ、パッチ!
私はなかなか、今までに培い続けて来たものを捨てるほどの情熱が持てなくて、同じところを行ったり来たりしながら、本当に少しずつ、自分を変えるのが精一杯だよ
実在の人物を描いた映画で、映画だから、展開は速いけど。
それでも「自分にも他のことにも情熱を持ち続ける」って本当に大切で、凄いことなんだ。
と、思ったら、凄くワクワクしちゃった
★恋人の死
自分のやりたいことに対して、まっすぐな情熱を失わないパッチは、アーサーからの援助で夢を叶える。
思い続けて来たカリンとも、ようやく気持ちが通じた矢先、カリンを患者に殺されてしまう。
普通、ここで完全に挫折してしまってもおかしくないと思うんだけど。
パッチの足を引っ張っていた同級生が、「病気だけを見る」医療に限界を感じて、パッチに助けを求める。
以前、カリンと一緒に「何がしたい?夢は何?」と聞いた患者が全く食事をしないと聞いたパッチは、患者の夢を叶えてあげる。
患者の夢は「ヌードルのプールで泳ぐこと」。
…泳いじゃったよ〜(笑)
このシーンはロビンがお膳立てをしてあげる役柄だからこそ、もの凄く素敵に見えるんじゃないかと思った。
(私がロビンおじさんの大ファンだから、すこーし贔屓目もあるかも知れないけど
)
作品を見る度に、優しい役も、恐ろしい役でも、心から伸び伸びと、楽しんで演じているように見えるロビンだからこそ、人の望みを叶えてあげるパッチの、苦悩とか、迷いを一切感じることなく、すんなり受け止めることが出来たように感じました。
普段の私だったら、いくら映画だからって、「パスタがもったいないよ、小麦だって生き物なのに…
」って、ちょっと引っかかりそうだ(笑)
でも、パッチが本当に「患者を癒すことで自分も癒されている」姿を見ていたら、パスタは決して無駄にはされていないと感じる。
普段は体の栄養に、そして、この時は心の栄養になってくれたんだと思う。
★人生の質を高めること
退学処分を言い渡されて、医師会の裁定を仰ぐことになった時のパッチにも、強く心を打たれました。
医者の使命は患者の死を予防することだけではなく、患者と触れ合って患者の人生の質を高めること。
今回の記事は、純粋に「映画の感想」とは言えないかも知れないです。
私は普段、自己啓発系の本を読んだり、その中に書かれたことを実践してみたりしているけど、なっかなか上手く行きません
それこそ、「既成概念をぶち破ろう」として、毎度毎度、失敗を繰り返している感じです
それでも、時々、自分の願望が叶ったり、自分が行きたいと思っている方向に行けたりすることがあります。
なのに、叶ったことに対して、物足りなさを感じたりすることがあって、一体私はどうしたいんだろう?
と、要らない迷いを抱えてしまうことがあります。
願望を叶えることにこだわり過ぎている時、そんな状態になるのかも知れません。
私の本当の願いは、細々とした願いを叶えることで、自分の人生の質を高めて行くことなのかも。
そのことを、この映画が気づかせてくれたように思います。
だから、自分のやりたいように、自分の人生の質を、どんどん高めている人たちを見ると、純粋に、とても憧れます
パッチにも、そして、このブログからリンクさせて頂いているブログを書かれている方々にも
ずーっと、自分自身に対して、情熱を失わない自分でいたいなあ。
パッチ・アダムスと夢の病院
実在の人物である、パッチ・アダムスこと、ハンター・アダムス氏の医療への取り組みと、無料診療所を設立するに至った経緯がこの本に書かれています
この他のロビン・ウイリアムス出演作品の感想:レナードの朝
“パッチ・アダムス”の続きを読む>>
簡単そうで、実はもの凄く難しいこと。
それが、「既成概念」とか「観念」に囚われずに生きることだと思う。
パッチは精神病院で出会ったアーサーに、既成概念のぶち破り方を教わる。
アーサー曰く、
「問題ばかりでなく、その向こうに焦点を合わせるんだ。既成概念や見栄を捨てて世界を見直せば、毎日が発見だ。君ならそれができる」
凄いよ、アーサー!さすが「天才病」…って、まるで「天才であることが病」みたいな病名だねぇ

パッチはこの言葉に強い影響を受け、それまで「ちょっと引きながら」見ていた同室の患者の病気ではなく、「患者本人(患者の心)」に直接触れるように、患者と同じ目の高さで病気と関わる。
その時に、「患者を癒すことで自分も癒される」ことに気づいて、医者を目指す。
凄いよ、パッチ!
私はなかなか、今までに培い続けて来たものを捨てるほどの情熱が持てなくて、同じところを行ったり来たりしながら、本当に少しずつ、自分を変えるのが精一杯だよ

実在の人物を描いた映画で、映画だから、展開は速いけど。
それでも「自分にも他のことにも情熱を持ち続ける」って本当に大切で、凄いことなんだ。
と、思ったら、凄くワクワクしちゃった

★恋人の死
自分のやりたいことに対して、まっすぐな情熱を失わないパッチは、アーサーからの援助で夢を叶える。
思い続けて来たカリンとも、ようやく気持ちが通じた矢先、カリンを患者に殺されてしまう。
普通、ここで完全に挫折してしまってもおかしくないと思うんだけど。
パッチの足を引っ張っていた同級生が、「病気だけを見る」医療に限界を感じて、パッチに助けを求める。
以前、カリンと一緒に「何がしたい?夢は何?」と聞いた患者が全く食事をしないと聞いたパッチは、患者の夢を叶えてあげる。
患者の夢は「ヌードルのプールで泳ぐこと」。
…泳いじゃったよ〜(笑)
このシーンはロビンがお膳立てをしてあげる役柄だからこそ、もの凄く素敵に見えるんじゃないかと思った。
(私がロビンおじさんの大ファンだから、すこーし贔屓目もあるかも知れないけど
)作品を見る度に、優しい役も、恐ろしい役でも、心から伸び伸びと、楽しんで演じているように見えるロビンだからこそ、人の望みを叶えてあげるパッチの、苦悩とか、迷いを一切感じることなく、すんなり受け止めることが出来たように感じました。
普段の私だったら、いくら映画だからって、「パスタがもったいないよ、小麦だって生き物なのに…
」って、ちょっと引っかかりそうだ(笑)でも、パッチが本当に「患者を癒すことで自分も癒されている」姿を見ていたら、パスタは決して無駄にはされていないと感じる。
普段は体の栄養に、そして、この時は心の栄養になってくれたんだと思う。
★人生の質を高めること
退学処分を言い渡されて、医師会の裁定を仰ぐことになった時のパッチにも、強く心を打たれました。
医者の使命は患者の死を予防することだけではなく、患者と触れ合って患者の人生の質を高めること。
今回の記事は、純粋に「映画の感想」とは言えないかも知れないです。
私は普段、自己啓発系の本を読んだり、その中に書かれたことを実践してみたりしているけど、なっかなか上手く行きません

それこそ、「既成概念をぶち破ろう」として、毎度毎度、失敗を繰り返している感じです

それでも、時々、自分の願望が叶ったり、自分が行きたいと思っている方向に行けたりすることがあります。
なのに、叶ったことに対して、物足りなさを感じたりすることがあって、一体私はどうしたいんだろう?
と、要らない迷いを抱えてしまうことがあります。
願望を叶えることにこだわり過ぎている時、そんな状態になるのかも知れません。
私の本当の願いは、細々とした願いを叶えることで、自分の人生の質を高めて行くことなのかも。
そのことを、この映画が気づかせてくれたように思います。
だから、自分のやりたいように、自分の人生の質を、どんどん高めている人たちを見ると、純粋に、とても憧れます

パッチにも、そして、このブログからリンクさせて頂いているブログを書かれている方々にも

ずーっと、自分自身に対して、情熱を失わない自分でいたいなあ。
実在の人物である、パッチ・アダムスこと、ハンター・アダムス氏の医療への取り組みと、無料診療所を設立するに至った経緯がこの本に書かれています

この他のロビン・ウイリアムス出演作品の感想:レナードの朝
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【2008-03-10(Mon) 11:35:42】
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★映像から伝わって来る不気味さと、シューターのねちっこさ
私の中で、スティーブン・キング原作の映画と言えば、ミザリーです。
ミザリーは、ある有名な作家が、「世界一のファン」を名乗る女に、シリーズものの小説の結末を書き換えるようにすがられ、監禁され、かーなーり、ひどい目に遭わされるお話でした。
モートが作家だったので、この人も何か「ひどい目」に遭うのかと、ドキドキしながら見ていました。
キング原作の映画は、「ごく普通のシーン」になのに、そこはかとない不気味さが漂っていて、それだけで何となく緊張しちゃいます
そこへ、威圧感と執念深さ満載の存在感を持ってシューターが現われる。
「俺の小説を盗んだ。俺の小説を盗んだ。
結末を書き換えて俺の名前で出版し直せ」
しつこくしつこく食い下がり、モートが相手にせずにいると、もう人間との付き合いの長い老犬、チコを殺してモートを脅す。
…このシーンだけで、犬猫好きな私は、一発で「シューター憎し」な気持ちで一杯でした。
★妻を寝取られた男
妻の家が放火によって全焼し、「盗作疑惑」を晴らす証拠となる雑誌も一緒に燃えてしまった。
でも、モートが気にしているのは、そんなことよりも元妻の恋人・テッドのこと。
とにかく、テッドの一挙手一投足、全てが気に入らない。
発言の全てがモートの神経を逆なでする。
元妻と言っても、モートは協議から半年経った今でも離婚届にサインしていなかったみたいだから…もう一度やり直したかったのかな…?
妻を奪われてプライドが傷つき、相手の男は偉そうにサインを要求して来る。
ジョニー・デップのプレッシャーとストレスによるヒステリックな演技。
演技が上手いことで、せっかく普通の格好(衣装とか)の役柄だったのに、中身が「普通じゃない」ことに、私が気づき始めたのはこの辺り…。
★ケン&目撃者の殺害
1日500ドルもの報酬を要求できる、優秀な探偵、ケン。
シューターが誰かに依頼されてモートを脅し、歯止めが利かなくなって次々と事件を起こしていると推測。
次の日、モートはケンと目撃者の死体を発見。
シューターと対面。
ここで、私ははっきりと、「モートは二重人格」と言うことを悟りました。
だってファイト・クラブ大好だし。
モート本人がどんなに戸惑っていようと、モート以外に「シューター」の存在を確認している人がいなかったり、いたと思ったら殺されたり…。
それはもう、二重人格以外に思いつかないほど、ファイト・クラブのインパクトは強かったってことかも(笑)
★人格の融合
モートは「シューター」が自分の心が作り上げた、もう1人の自分の人格だと言うことを自覚。
…大概の場合、ここで「善良、または普通の人間」の方の人格が「悪人」である人格の犯行を阻止しようと動き始めるパターンが多いけど、この映画の場合、「悪人」の人格が「普通」の人格を飲み込んでしまった
サインをもらいに来た妻を殺し、不安になって妻の様子を見にやって来た恋人を殺して庭に埋める。
何、そのすっきりした「晴れがましい」とも取れる表情は…?
いや、判る。判るよ。
裏切った妻を許せないことも、奪った張本人の癖に何故か「上から目線」で迫って来る妻の恋人に腸が煮えくり返る気持ちも。
判るけど…作家なら、「死ぬより辛い目に遭わせる方法」とかを考えたりしないものかな?
その方が2人を殺してしまうよりも、ずーっと晴れがましい顔で、しかも罪を犯すこともなかったかも知れないのに…。
あー…スランプだったから思いつかなかたのかなぁ…
★キングの調子…?
全ての怒りとストレスの元を始末したモート。
小屋の小さな「シークレットウインドウ」から見える場所に、妻とその恋人が埋まっている?
私だったら、例え死んでいても、妻と他の男を同じ場所に埋めるなんて、ぜーったい!許せないなあ。
一緒になんかいさせたくないと思っちゃう。
だから、私だったら妻は殺さないかな?監禁していたぶるとか
そうすれば、恋人とは一緒にいられない訳だし。
こんな感じで、ほんの少し突き詰めて考えると、このお話はちょっと詰めが甘いように感じました。
このお話も結構好きだけど、モートが二重人格だと悟るのが冒頭で、すぐに融合し、どうしても許せない妻と恋人をじりじり追い詰める話だったら、もっと好きになれた気がします。
妻とその恋人の死体を養分にし始めたとうもろこしを、もりもり食べるジョニーは、すんごく恐かったけど…
モートの殺人の証拠。
庭を掘り返したり、ケンたちの遺体を探す段階で、モートの腕時計が見つかるのかな?
何となく、すっきりしたモートが、そのままのんびり暮らして行けそうな雰囲気が漂っていて、それも「ほんのり」恐かったかも
その他のジョニーデップ出演作品の感想。
チャーリーとチョコレート工場
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私の中で、スティーブン・キング原作の映画と言えば、ミザリーです。
ミザリーは、ある有名な作家が、「世界一のファン」を名乗る女に、シリーズものの小説の結末を書き換えるようにすがられ、監禁され、かーなーり、ひどい目に遭わされるお話でした。
モートが作家だったので、この人も何か「ひどい目」に遭うのかと、ドキドキしながら見ていました。
キング原作の映画は、「ごく普通のシーン」になのに、そこはかとない不気味さが漂っていて、それだけで何となく緊張しちゃいます

そこへ、威圧感と執念深さ満載の存在感を持ってシューターが現われる。
「俺の小説を盗んだ。俺の小説を盗んだ。
結末を書き換えて俺の名前で出版し直せ」
しつこくしつこく食い下がり、モートが相手にせずにいると、もう人間との付き合いの長い老犬、チコを殺してモートを脅す。
…このシーンだけで、犬猫好きな私は、一発で「シューター憎し」な気持ちで一杯でした。
★妻を寝取られた男
妻の家が放火によって全焼し、「盗作疑惑」を晴らす証拠となる雑誌も一緒に燃えてしまった。
でも、モートが気にしているのは、そんなことよりも元妻の恋人・テッドのこと。
とにかく、テッドの一挙手一投足、全てが気に入らない。
発言の全てがモートの神経を逆なでする。
元妻と言っても、モートは協議から半年経った今でも離婚届にサインしていなかったみたいだから…もう一度やり直したかったのかな…?
妻を奪われてプライドが傷つき、相手の男は偉そうにサインを要求して来る。
ジョニー・デップのプレッシャーとストレスによるヒステリックな演技。
演技が上手いことで、せっかく普通の格好(衣装とか)の役柄だったのに、中身が「普通じゃない」ことに、私が気づき始めたのはこの辺り…。
★ケン&目撃者の殺害
1日500ドルもの報酬を要求できる、優秀な探偵、ケン。
シューターが誰かに依頼されてモートを脅し、歯止めが利かなくなって次々と事件を起こしていると推測。
次の日、モートはケンと目撃者の死体を発見。
シューターと対面。
ここで、私ははっきりと、「モートは二重人格」と言うことを悟りました。
だってファイト・クラブ大好だし。
モート本人がどんなに戸惑っていようと、モート以外に「シューター」の存在を確認している人がいなかったり、いたと思ったら殺されたり…。
それはもう、二重人格以外に思いつかないほど、ファイト・クラブのインパクトは強かったってことかも(笑)
★人格の融合
モートは「シューター」が自分の心が作り上げた、もう1人の自分の人格だと言うことを自覚。
…大概の場合、ここで「善良、または普通の人間」の方の人格が「悪人」である人格の犯行を阻止しようと動き始めるパターンが多いけど、この映画の場合、「悪人」の人格が「普通」の人格を飲み込んでしまった

サインをもらいに来た妻を殺し、不安になって妻の様子を見にやって来た恋人を殺して庭に埋める。
何、そのすっきりした「晴れがましい」とも取れる表情は…?
いや、判る。判るよ。
裏切った妻を許せないことも、奪った張本人の癖に何故か「上から目線」で迫って来る妻の恋人に腸が煮えくり返る気持ちも。
判るけど…作家なら、「死ぬより辛い目に遭わせる方法」とかを考えたりしないものかな?
その方が2人を殺してしまうよりも、ずーっと晴れがましい顔で、しかも罪を犯すこともなかったかも知れないのに…。
あー…スランプだったから思いつかなかたのかなぁ…

★キングの調子…?
全ての怒りとストレスの元を始末したモート。
小屋の小さな「シークレットウインドウ」から見える場所に、妻とその恋人が埋まっている?
私だったら、例え死んでいても、妻と他の男を同じ場所に埋めるなんて、ぜーったい!許せないなあ。
一緒になんかいさせたくないと思っちゃう。
だから、私だったら妻は殺さないかな?監禁していたぶるとか

そうすれば、恋人とは一緒にいられない訳だし。
こんな感じで、ほんの少し突き詰めて考えると、このお話はちょっと詰めが甘いように感じました。
このお話も結構好きだけど、モートが二重人格だと悟るのが冒頭で、すぐに融合し、どうしても許せない妻と恋人をじりじり追い詰める話だったら、もっと好きになれた気がします。
妻とその恋人の死体を養分にし始めたとうもろこしを、もりもり食べるジョニーは、すんごく恐かったけど…

モートの殺人の証拠。
庭を掘り返したり、ケンたちの遺体を探す段階で、モートの腕時計が見つかるのかな?
何となく、すっきりしたモートが、そのままのんびり暮らして行けそうな雰囲気が漂っていて、それも「ほんのり」恐かったかも

その他のジョニーデップ出演作品の感想。
チャーリーとチョコレート工場
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映画/DVD
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【2008-02-25(Mon) 19:38:32】
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1969年、マルコム・セイヤー(ロビン・ウイリアムズ)は、ニューヨークのべインブリッジ病院で、臨床精神科医として働くことになった。
セイヤーには、実際に患者と向き合い、対応した経験はなかったが、彼らの役に立ちたい、と思い始める。
セイヤーは、患者たちと接するうちに、彼らが自分に向って投げられたボールを受け取ったり、視覚から脳への刺激となる模様があれば、歩行したりする者もいることに気づく。
同じような反応を示す患者を集め、彼らに共通する事柄を調べ始めた。
そして、彼らはみな、1920年代と、1930年代にアメリカに広まった「嗜睡性脳炎」にかかっていた共通点を発見する。
セイヤーは、ある学会で発表された、パーキンソン氏病のために開発された「Lドーパ」(ドーパミンの先駆物質)と言われる薬が、自分の患者たちにも有効なのではないかと気づき、病院の許可を取り、ある患者の家族からも同意を受けた上で、30年もの間眠り続けている、レナード・ロウ(ロパート・デニーロ)にLドーパの投与を開始する。
レナードは薬によって30年の眠りから覚め、医学的な軌跡が起こったと感じたセイヤーは、病院側を説得し、全ての嗜眠性脳炎の患者に薬の投与を提案するが、費用がかかりすぎることもあり、病院側は否定的な態度を取る。
そこでセイヤーは、病院スタッフからのカンパと、寄付団体に、目覚めてからのレナードのフィルムを公開するなどして寄付を募り、嗜眠性脳炎の患者全員に、薬を投与することができたのだった。
患者たちはそれぞれに目覚め、始めのうちは目覚めた喜びに満ち溢れていたが、その内に、人生の大半を眠って過ごしてきたと言う事実、そして、「もう若くない」と言う現実と向き合うことになった。
レナードは神経障害と戦いながら、失ってしまった時間を取り戻そうとするかのように、あらゆる経験を求め始める。
セイヤーはレナードがあらゆる経験ができるようにとレナードに手を差し伸べ、レナードはセイヤーが薬についての知識をより多く得られるように、と互いに協力し、友情を育んで行くが…。
私は、映画、ガープの世界を見て以来、ロビン・ウイリアムズさんが大好きで、出演されている映画を見る時は、いつもロビンの「目の奥」の表情に注目しています。
演じる人物(人じゃないこともるけど
)の思いを、目で表現するところが素晴らしくって、いつもドキドキしています
この映画は実話を元に描かれたものなので、フィクションと並べようかどうか、少し迷いましたが…。
おおまかな流れが似ているせいか、映画を見ている最中に、ダニエル・キイスの小説、アルジャーノンに花束をを思い出しました。
最終的に、薬の効果は一時的なもので、薬を投与された患者たちは全員、また長い眠りについてしまいます。
(色々な方法を試す中で、短い目覚めを経験した人もいるようだけれど、長時間に渡って目覚めることができたのは、「1969年の夏」だけのことのようです)
私は始め、どちらかと言うとセイヤー目線で物語を見ていたので、患者たちが回復した時は嬉しくてワクワクしてしまったんだけど…。
ふとレナードや他の患者の目線に立った時、凄く恐かった。
もし自分が何十年も眠っていたとしたら…。
身の回りにあるものは、自分が眠る前のものとは比べものにならないくらい、進化した立派なものになっているだろうし、知っている人たちは、自分の知らないこと、経験のないことを、沢山経験した上で、歳を重ねている。
けれど、自分は「ただ歳を重ねている」だけ。
レナードの場合は、まだお母さんも健在だったから、「あれもしたい、これもしたい」って、すんなり思うことが出来たのかも知れない。
でも、目覚めた時に、家族がいない患者さんは、何を希望にたらいいのか、その選択も難しかったかも知れない…。
正直、難しいです。
どうやっても、眠る前の自分に戻ることは不可能。若い時と、30年後の今では、体力も全く違うし、体力が違えば、気力にも違いが出るように思うから。
そんな状況の中でも、「失った時間を取り戻したい」と思うのか、「目覚めない方が良かった」と思うのかで、どうにもならない違いも生まれてしまうと思うし…。
セイヤーは、患者を目覚めさせたことが、いいことだったのか、そうでなかったのか、とっても悩んでいたけど。
少なくとも、レナードに関しては、良かったんじゃないかと思う。
彼は生きることに貪欲な人だった。
薬の効果を調べることに対しても、誰よりも協力的だったのは、「生きたい」と言う思いが強かったから…だと思う。
再び眠ってしまったことは残念だけど…。
レナードは、人を信頼する気持ちとか、人を愛する気持ち…人にとってかけがえのないものを、知ることができた。
知らず死んで行くかも知れない私には、とても羨ましいことです

それに、セイヤーを通して、医学の世界で生きている人達や、神経系の病気に苦しんでいる人達にも、希望を残した。
滅多にできることではないから、そう言うレナードと友情を育むことができたセイヤーも、誇りを持ち続けて欲しい…そう思いました。
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【2008-01-14(Mon) 21:13:05】
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あらすじ
チャーリー(フレディ・ハイモア)は、両親と両祖父母と一緒に、傾いた家で暮らしている。
チャーリーの楽しみは、年に1度、誕生日にだけ買ってもらえる「ウォンカ・チョコレート」
ある日、そのチョコレート工場主であるウィリー・ウォンカ(ジョニー・デップ)が、5人の子供たちを工場に招待する、と発表した。
チョコレートに同封された、金色のチケットを引き当てた子供は、家族をひとり同伴して工場を見学することができると言う。
更に、そのうちの1人には、素晴らしい商品も与えられることになっている。
チャーリーの両親は、工場に行きたがっているチャーリーに、一週間早く「ウォンカチョコレート」をプレゼントするが、チケットは入っていなかった。
ひとり、ふたりとチケットを引き当てる子供たちが現われ、とうとうチケットは残り一枚…となった時、チャーリーは偶然お金を拾い、そのお金で買ったチョコレートの中に、金色のチケットが入っていた…!
私にとって、ジョニー・デップと言えばシザーハンズ。
「ハサミの手」を持った心優しい怪物…のお話です。
…役者としては当たり前のことのような気がするけど、本当、色んな役になりきってくれて、見ていて本当に楽しいです

チャーリーの他に、幸運をゲットしたのは、食いしん坊で太っちょのオーガスタス(フィリップ・ウィーグラッツ)、賞をもらうことに執念を燃やしているバイオレット(アナソフィア・ロブ)、ナッツ工場の社長令嬢で、何でも欲しがるわがままなベルーカ(ジュリア・ウィンター)、チョコの売れ行きや株価を熟知することでチケットを手に入れた、知識自慢のマイク(ジョーダン・フライ)
そして、子供たちに同伴した大人たち、10人でチョコレート工場に入って行くけど…。
子供たちは自分の欲求を満たそうとしたことが原因で、ひとり、またひとりと工場のどこかに消えて行く。
食欲に負けたり、物欲に負けたり、記録伸ばしに必死になったり、科学が全てだと信じて疑わなかったり…。
理由は子供たちそれぞれ。
どの子も鼻持ちならないと思う気持ちは判る(笑)
同伴して来た親は、自分の子供をきちんと躾けようとしない(間違っていたり、偏っていると思っていない)から、ウォンカさんなりのおしおきなのかも。
ちょっと大人げないような気がしないでもなかったけど…

子供たちがトラブルを起こす度に登場して、歌って踊るウンパ・ルンパ(ディープ・ロイ)は…可愛いような、気持ち悪いような…

ウンパ・ルンパたちが、歌と踊りのお稽古をしていたのは判っていたけど、歌にはそれぞれの子の名前が入って…ウォンカさんたら、一体どうやって、それぞれの性格をリサーチしたのかも、ちょっと知りたかったかも(笑)
ウォンカさんにはトラウマがあって、可哀相だなぁ…とも思うんだけど、子供たちへの制裁(?)の仕方とか、自由すぎる発想なんかを聞いていると、
「変人…?」
に見えちゃった

けど、それは「天才」の裏返しなのかも

ウォンカさんのお父さんは歯科医で、「チョコレートは虫歯の素、チョコレートなんて時間の無駄」
そう行って、ハロウィンにもらったお菓子でさえ、ウォンカさんから奪い取って、暖炉で燃やしてしまった。
子供だったウォンカさんにしてみたら、拷問(虐待?)だったかも知れないけど、でも、発想を逆にすると、そう言う、強烈な抑圧があったからこそ、感覚が研ぎ澄まされて、素晴らしいショコラティエになれた…とも言えるような気がします。
お父さんも、過剰だけど、息子の歯を思っていたことも確か。
でなければ、あんなにウォンカさんのことが書かれた新聞記事を取ってある訳がないもんね。
映画の中に出て来た、上下左右、斜め、果てはどこにでも行けるエレベーター、欲しいなぁ

綺麗に磨かれてるから、私も激突するかも知れないけど、めちゃくちゃ便利そう(笑)
ジョニーデップの最新作、「スウィーニー・トッド」に関する情報は、下記のページでどうぞ

歌って殺す悪魔の床屋『スウィーニー・トッド』--ジョニー・デップ来日会見
映画/DVD
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【2008-01-13(Sun) 00:43:46】
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武士の一分 公式サイト http://www.ichibun.jp/
原作:藤沢周平 「盲目剣谺返し」 (隠し剣秋風抄新装版収録 )
あらすじ
三村新之丞(木村拓哉)は城で毒見役を勤める下級武士。
孤児だった妻・加世(壇れい)と穏やかに暮らしていた。
通いの中間、徳平(笹野高史)も誠実に仕事をこなしてくれている。
新之丞は毒見役と言う仕事に嫌気が差し、近い将来、子供らに剣術を教えて暮らしたいと願っていた矢先、貝の毒に当たって高熱を出し、一命は取りとめたが、意識を回復した後に、視力を失っていることに気づく。
人の助けを必要としなければ生きられなくなってしまった自分を恥じ、一度は命を絶とうと決心するが、加世と徳平の自分を思う気持ちに心を打たれ、思い留まる。
ある日、加世が男と密会していると言う噂を聞いた新之丞は、徳平に加世の後をつけさせ、加世が、番頭・島田藤弥(坂東三津五郎)との不貞を知った。
加世が島田に体を預けることで家禄を保って来たとを聞いた新之丞は加世を離縁するが、後に、島田が加世を弄ぶために、家禄を口実に加世を騙していたことを知った新之丞は、自分の武士としての「一分」を賭けて、島田に果し合いを申し込む…。
昨年末に放送されたものの録画を、ようやく見ることができたので、遅ればせながら感想を書き残そうと思います。
映画全体に夫婦の深い愛が静かに流れている映画でした。
目が見えなくなってしまった夫に、妻の加世は「それがどうしたと言うのです」と問いかけます。
目が見えなくなっても、あなたがあなたであることに変わりはない、と。
例えば、私が誰かの妻だったとして、夫が突然失明してしまったとしたら、どうするだろう…とか、逆に、もし、私に夫がいて、私が突然失明してしまった時、目が見えなくても私が私であることに変わりはない…と言ってもらえる自分かどうか、とか。
思わず考え込みそうになりました。
新之丞が島田に果し合いを申し込んだのは、
相手が自分を盲目だと思って馬鹿にしているから…と言うだけでなく、
娘時代からその美しさが評判だった加世を騙して手篭めにしたと言う屈辱を果たすためだったのではないか…と私は思いました。
「武士」と言うことよりも尚、「男としての一分」を守るための果し合いのように感じたのです。
相手と共に死ぬことを覚悟しての果し合いで、元々人を騙すことに何の痛痒もない島田は、卑怯な手で新之丞を斬ろうとしますが、実は果し合いのための稽古中に、剣術の師匠(緒形拳)から同じ手で稽古をつけられていたので、騙されることなく、島田への恨みを晴らします。
直後、つがいで飼っていた小鳥の片方が死んでしまったエピソードを見て、もしかして加世は、行くところもなく、どこかで路頭に迷って死んでしまったのではないかと、かなりドキドキしました
が、それは私の想像力が逞しすぎただけの話
徳平の機転で、2人は元のさやに戻ります。
と、言うか、以前よりも絆が深まるのではないか…と思わせてくれるラストでした。
とても静かで、淡々と物語が進んで行くので、テレビドラマで見るような、木村拓哉さんの姿を期待していると、ちょっと物足りなく感じるかも知れませんが、
私はこの映画で、木村さんは台本にある「行間」の理解や物語の空気を把握がスムーズにできる人なのかも知れない、と感じて嬉しくなりました
壇れいさんは、佇まいがとっても美しい女優さんで、今後の作品も見てみたいです。
脇役の俳優さんたちも素晴らしかった。
この人達がいるから、新之丞や加世の存在がより輝いて見えます。
個人的には、特に、笹野さんと緒形さんに注目してもらえると、とっても嬉しいです
原作:藤沢周平 「盲目剣谺返し」 (隠し剣秋風抄新装版収録 )
三村新之丞(木村拓哉)は城で毒見役を勤める下級武士。
孤児だった妻・加世(壇れい)と穏やかに暮らしていた。
通いの中間、徳平(笹野高史)も誠実に仕事をこなしてくれている。
新之丞は毒見役と言う仕事に嫌気が差し、近い将来、子供らに剣術を教えて暮らしたいと願っていた矢先、貝の毒に当たって高熱を出し、一命は取りとめたが、意識を回復した後に、視力を失っていることに気づく。
人の助けを必要としなければ生きられなくなってしまった自分を恥じ、一度は命を絶とうと決心するが、加世と徳平の自分を思う気持ちに心を打たれ、思い留まる。
ある日、加世が男と密会していると言う噂を聞いた新之丞は、徳平に加世の後をつけさせ、加世が、番頭・島田藤弥(坂東三津五郎)との不貞を知った。
加世が島田に体を預けることで家禄を保って来たとを聞いた新之丞は加世を離縁するが、後に、島田が加世を弄ぶために、家禄を口実に加世を騙していたことを知った新之丞は、自分の武士としての「一分」を賭けて、島田に果し合いを申し込む…。
昨年末に放送されたものの録画を、ようやく見ることができたので、遅ればせながら感想を書き残そうと思います。
映画全体に夫婦の深い愛が静かに流れている映画でした。
目が見えなくなってしまった夫に、妻の加世は「それがどうしたと言うのです」と問いかけます。
目が見えなくなっても、あなたがあなたであることに変わりはない、と。
例えば、私が誰かの妻だったとして、夫が突然失明してしまったとしたら、どうするだろう…とか、逆に、もし、私に夫がいて、私が突然失明してしまった時、目が見えなくても私が私であることに変わりはない…と言ってもらえる自分かどうか、とか。
思わず考え込みそうになりました。
新之丞が島田に果し合いを申し込んだのは、
相手が自分を盲目だと思って馬鹿にしているから…と言うだけでなく、
娘時代からその美しさが評判だった加世を騙して手篭めにしたと言う屈辱を果たすためだったのではないか…と私は思いました。
「武士」と言うことよりも尚、「男としての一分」を守るための果し合いのように感じたのです。
相手と共に死ぬことを覚悟しての果し合いで、元々人を騙すことに何の痛痒もない島田は、卑怯な手で新之丞を斬ろうとしますが、実は果し合いのための稽古中に、剣術の師匠(緒形拳)から同じ手で稽古をつけられていたので、騙されることなく、島田への恨みを晴らします。
直後、つがいで飼っていた小鳥の片方が死んでしまったエピソードを見て、もしかして加世は、行くところもなく、どこかで路頭に迷って死んでしまったのではないかと、かなりドキドキしました

が、それは私の想像力が逞しすぎただけの話

徳平の機転で、2人は元のさやに戻ります。
と、言うか、以前よりも絆が深まるのではないか…と思わせてくれるラストでした。
とても静かで、淡々と物語が進んで行くので、テレビドラマで見るような、木村拓哉さんの姿を期待していると、ちょっと物足りなく感じるかも知れませんが、
私はこの映画で、木村さんは台本にある「行間」の理解や物語の空気を把握がスムーズにできる人なのかも知れない、と感じて嬉しくなりました

壇れいさんは、佇まいがとっても美しい女優さんで、今後の作品も見てみたいです。
脇役の俳優さんたちも素晴らしかった。
この人達がいるから、新之丞や加世の存在がより輝いて見えます。
個人的には、特に、笹野さんと緒形さんに注目してもらえると、とっても嬉しいです

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【2008-01-08(Tue) 18:19:13】
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